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2022.06.07

包括支援センターお知らせ包括支援センター

「今こそ広げよう、見守りの輪!」~地域見守りのキーパーソンNO16 ~(民生児童委員 編 ⑬)

西部地区の民生委員へのインタビュー、今回は西部第1地区の南三丁目地域を担当
している新沼さんに話を伺いました。

※以下、新沼さん(民)、包括職員(包)で表記

 

(包)本日はご多忙なところ、取材への協力をありがとうございます。早速ですが、
民生委員になられたきっかけから教えてください。


(民)目黒区には約20年前に転居しました。当時から、地域のお役に立ちたいと
町会役員をやってきましたが、後に町会長さんから再三お勧めいただいて民生委員
に就任したのが約4年前だったと思います。以前PTA役員をやっていたので、地域
活動に参加する事にはあまり抵抗を感じなかったですね。


(包)以前、受診が必要な状態の一人暮らしの方の支援で、新沼さんにご尽力いた
だいた事がありました。頑なに受診を拒否され包括職員が対応に苦慮していた際、
新沼さんの親身な声掛けによって、その方は無事に救急で受診をする事ができました。
私にとっても、地域住民と直接の繋がりを持つ、民生委員のお力を間近に感じた
出来事でした。

そんな新沼さんが地域の高齢者の方々と接する際に、心がけていることなどはあり
ますか?


(民)男性の民生委員ですと色々と難しい部分もあるのですが・・。

やはり、相手に対して失礼の無いように。相手と心が通じ合うように。そんなことを
いつも心掛けています。最初はあまり受け入れていただけなかった方でも、いつの間
にか笑顔を見せて私の名前を呼んでくださる方もいらして、そんな時は素直に嬉しい
ですね。


(包)そのような関わりを続けてきた中で、特に印象に残っていることなどはあり
ます
か?


(民)私の担当地域で、長年連れ添ったご主人を亡くされた、独り暮らしの女性が
いらっしゃいました。まだ悲しみの癒えない本人の話をお聞きする中で、私はもっと
相手の気持ちに寄り添いたいとの思いから、自身の体験談を話しました。お互いの
辛い気持ちを分かち合う中で、いつしか心が通じ合い、その方の心情に寄り添うこと
が多少はできたと感じました。私自身としても貴重な出会いでしたね。

 

  <民生委員 新沼さん>

(趣味はソフトテニス。シニアの部で全日本チャンピオンだった程の腕前。
現在も
現役のプレイヤーです!)

 

(包) コロナ禍となり、担当する高齢者宅に訪問する事が難しくなって久しいと
思いま
すが、新沼さんは町会長と協力して独自の活動を続けているそうですね?


(民) 担当地域のひとりぐらしの皆様へ、町会長との連名でお手紙を出しています。

励ましのメッセージと共に、最後に「お困りのことがありましたらご相談ください」
と連絡先を記載。配布活動はコロナ禍が始まった2年前より始め、今春で6回目を
数えます。特にコロナ禍が深刻だった時期には、地域で孤立しがちとなり、不安を
感じていらした多くの方から大変喜んでいただけました。

 
<新沼さんが地域に配布された手紙>
(一部を抜粋)


(包) 私もその手紙を拝見しましたが、新沼さんの気持ちが届いて、地域住民の
皆様も
心強かったでしょうね。仕事をしている中で、それだけ地域に尽力される
ことは本当に大変なことだと思いますが、他にもボランティアをされているとか?


(民) 私は岩手県大船渡市出身なのですが、震災被災地への支援活動を10年以上
行っています。ソフトテニスを通して被災地の子供達と会い、笑顔と希望を届ける
「未来っ子応援プロジェクト」と言います。全国のソフトテニスの仲間たちに声を
掛けて、義援金やソフトテニス用品の寄贈も行ないました。沢山の人からの協力を
得て、現在も続けています。


(
包) 最後に包括支援センターに期待していることをお聞かせください。

(民) 担当する高齢者と連絡がつかず心配な時に包括に相談し、状況を確認して
いただき助かっています。地域住民から「民生委員」として相談を受けても、
できる事は限られます。そのような時に、包括との連携はとても大切であると
感じますね。


(包)今日は様々な貴重な話をお聞かせ下さり、本当に有難うございました。
今後も
新沼さんの『思い』がこもった見守り活動にご助力いただきながら、
私たち職員も地域支援に励んでいきたいと思います。

 

<取材をふりかえって>

(包) 取材中、新沼さんから被災地で出会った子ども達より贈られた、お礼の
手紙や笑顔あふれる写真を見せていただきました。
 袋一杯のその束は、東北のみならず熊本に至るまで広範囲にわたって長期間
続けた支援活動の重みと、沢山の子ども達へ新沼さんの『思い』が確かに届いた
ことを物語っているようでした。